ウィーン留学時代の想い出


レッスンの始まり 生活 1980年9月〜10月


多くのことがあって毎日が不安と楽しさの両方でした。気が付くとウィーンへ来てからちょうど一ヶ月が経って、だんだんとこちらの生活に慣れてくると不安は小さく楽しみは大きくなってきました。なんと言っても私たちの楽しみは散歩でした。中心に近い便利なところに住んだおかげで日常はどこへ行くにも歩いて行くことができました。買い物のときや練習にちょっと疲れたときなどは二人でよく近くを散歩しました。

市民の憩いの場である市立公園(Stadtpark)はお気に入りの場所でした。町中なのに木がたくさんで池もあり、小鳥やカモや白鳥のほか驚いたことにクジャクまでいたのです。

9月19日にブラベッツ先生のお宅を初めておたずねしました。何かを弾かなければならないかと緊張して出かけたのですが、先生はむしろ初めて会った遠来の生徒を大切なお客として迎えてくださいました。シェリー酒とお義母さま手製のアプフェルシュトゥルーデルをいただきながら、バリリカルテットでたくさん先生の録音を聴いてどうしてもプライベートでブラベッツ先生に師事したいと思ったことをお話をしました。室内楽以外ではまだあまり聴いたことがなかったのですが、先生はスッペの詩人と農夫序曲のすばらしいソロのレコードを聴かせてくださいました。奥様が先生の手を握ってうっとりと聴いていらした様子がとてもすてきでした。

ようやく少しリラックスしてきたところで勉強する曲目などの話になり、バッハの組曲はもちろん、ほかに協奏曲やボッケリーニ、ブレヴァル、ヴァレンティーニなど古典のソナタ、そして二人で一緒に勉強したいと申し上げるとベートーヴェン、ブラームスを始めショスタコヴィチやラフマニノフなどのソナタなど、先生が絶対にこれはとおっしゃるものの名前が次々に挙がりました。

レッスンは翌週からということになりその日は弾かずにおいとましました。

黄葉した菩提樹
それからの一週間は私は初のレッスンに備えて一生懸命に練習をしていたし、文子もフォアシュピールは無事に済んではいたものの肝心の入試が目前に迫っており、我が家の空気は張りつめていました。しかしそんな中、ウィーンの街の真ん中にあるシュテファンスドームのミサに加わったことがどれほど大きなよろこびであったか、そしてこの一月に我々に与えられた多くの暖かい励ましと助けについて、また遠く日本でも多くの方が我々のために祈ってくださっていることを想い心から感謝の気持ちを祈りに込めたことが異口同音に文子と私の手紙に書かれてありました。

9月26日の私の手紙には初めてレッスンを受けた興奮が綴られています。中身の濃い音楽的なレッスンだったのですが、内容についてはあまり詳しくは書いていません。その代わりレッスン代が思った額の半分くらいだったこと(先週伺うのを忘れて高いんじゃないかと実はとても心配していました)、また想像していたレッスン代だとしたら2週に一度くらいと思っていたけれど、先生は我々が切りつめた中で勉強しようとしていることを思って安いレッスン代にして来週また来なさいとおっしゃってくださったんだろうかというようなことが書かれています。とにかく無事にレッスンが始まり、これから毎週通ってレッスンを受けられることが決まりました。

それから数日して文子のアカデミーの入試があり、10月1日に合格が発表されました。この年は普段の倍近くも受験者があり、実はとても狭き門だったようでした。芸大の入試を思えばずっと楽な試験だったと文子は書いていますが、無事に済んだから言えることで本当は直前生きた心地がしなかったとも書いてあります。発表後すぐにムラツェック先生とのガイダンスがあり、今までに勉強した曲などからこれからやらなければならない曲が次々と与えられ、入試前どころの比ではなくいよいよ本格的に勉強する態勢が整ったといったところです。
アカデミーの玄関にて

それまで二人が時間を分けて居間で練習をしていましたがとてもそれでは足りず、私は寝室を専用の練習室にして居間は文子に明け渡しました。毎日寝室の鏡に向かってボウイングの練習をしたことを想い出します。
生活が始まって一番の心配は一年間の生活費のことでした。そもそもこの留学はオーケストラの規定で休団は一年間でしたから当初はそのつもりの自費留学でした。入団した当時の給与は今では考えられないほど少なく、よくそれで結婚して生活をしていたと驚いてしまいます。それでも二人のアルバイトと倹約した暮らしで少しずつ貯金もし、かろうじて片道の飛行機代を出したのです。あとの費用は帰国後に返すつもりで両親から借金をしました。

保証金を含む家賃(我々が入るより一月前に家が空いたのをとっておくため前月分も)、到着した荷物の受け取り費用、ピアノの借り賃と運搬費など最初に大きな出費がかさみ、これからの勉強には私のレッスン代や文子の学費がかかります。それに帰りの飛行機代や荷物の送料を引いて残ったお金を月割りにすると途方もなく切りつめないとなりません。そのころの手紙にはこうした経済的な状況が子細に書かれ、場合によってはアルバイトもしようかという覚悟もあったようです(ありがたいことに実際にはそのようなことにはならず、アルバイトを考えたことは忘れていました)。しかし一方では日本ではまず体験しそうもない窮乏生活をむしろ楽しんでいて、決して心貧しくはならなかったことが窺えます。

一番大切な勉強の道筋が見え、散歩すると景色の見え方も一層美しく印象的になったようでした。10月に入ってもう紅葉がずいぶんきれいに色づいています。日本より一月早い感じです。
11月の初雪 降臨節 1980年11月〜12月 ウィーン留学時代の想い出index
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