ウィーン留学時代の想い出


11月の初雪 降臨節 1980年11月〜12月

11月に入ったとたん、びっくりするような大雪となりました。これはもう家に引きこもってなんぞいられません。早速防寒服に身を固めて勇んで出かけました。初めて見るウィーンの雪景色の美しさ!

すでにこちらへ来て二月を過ごし、レッスンや学校もペースができてきました。生活も楽しみつつ勉強に励んでいる様子が手紙から読みとれます。経済的には厳しい状況に変わりはなく、予算を立て生活を切りつめていたようですが、両親からは限られた期間にできるだけ内容の濃い勉強をし、また貴重な体験もいろいろあるだろうからお金のためにチャンスを逃すことのないようにと励まされてうれしかったようです。親の愛情にただ甘えることなく、できる限りは頑張ろうとしていた日々でした。
このころ文子は学校のディプロマをとるべきかどうかで迷い悩んでいました。芸大を大学院まで出たことで免除される単位が多かったけれども、やはり演奏に関しては避けられない厳しい関門があります。普通は8年かけるところを留学生はよく短期間に試験を受けて取っていくというので、あれこれ人の意見もあり悩んでいました。しかし結局我々にとって大切なことは演奏あるいは音楽の勉強のみならず、二人で一緒にウィーンで暮らす中での全ての体験であり、自分が一つの資格を取るためにその大半を捨て、また私にも大きな負担をかけることは本意ではないという考えに自然と向いていったようです。レッスンについても我々はチェロとピアノの二人で一緒に勉強ができるという強みがありました。このころはまだ始まっていませんが、やがてブラベッツ先生やムラツェック先生にデュオとしてのレッスンも受けることになります。

9月にシーズンが始まって以来すでにいくつものオペラを見ていました。日本では考えられない値段で(ただしほとんどが立ち見でしたが)すばらしい歌い手たちの競演とウィーンフィルの演奏を見ていました。いつもオペラのすばらしい余韻に浸りながら歩いて家まで帰れるのが幸せでした。

我が家の窓から見た中庭の景色です。左は10月始め頃、右は11月の始めです。変わり行く美しい自然を楽しんではいましたが、毎日が飛ぶように過ぎて行きました。
初めてのクリスマスが近づいていました。降臨節に入り街のあちらこちらにアドヴェントクランツが飾られています。我が家でも一本目のろうそくが灯りました。

   
クリスマスを前に我が家では楽しい話が持ち上がっていました。それは文子がいつも学校の行き帰りに眺めていた本屋のウィンドウにあるお菓子の本をプレゼントに買おうということです。おいしいお菓子を食べながらゆっくりとカフェで過ごすことはもちろん、ケーキを買ってきて家で食べることすら緊縮財政の我が家では許されませんでした。唯一ナッシュマルクトで買うスシャールのチョコレートが我が家のお茶の相手でしたから、ケーキを食べるのも作るのも好きな文子にはとても辛い我慢だったはずです。一冊の本をこれほど欲しいと思って眺めたことがあったでしょうか。左の写真が表紙、右は文子がいつも眺めていたウィンドウで開いていたページ。
クリスマスを今週迎えるという最後の週には毎週一本ずつ増やして灯してきたろうそくが4本全部灯っています。日本からのクリスマスカードも届いています。

クリスマスにはもう一つ大きな楽しみがあります。初めて迎えるウィーンでのクリスマスに何かプレゼントをしたいけれどもなにがいいかといううれしい問いかけが、私と文子の両方の両親からありました。私たちの希望は迷わず旅行がしたいというものでしたが、その贅沢な希望を両親がとても喜んでかなえてくれることになったのです。

行き先はザルツブルクとザルツカンマーグートのザンクトヴォルフガングという村にしました。この旅行記は次回へ回しましょう。とてもたくさんの楽しい想い出がありますから。
8月26日にこちらへ来たのにあっという間にこの年も終わろうとしていました。なんだかとてもめまぐるしかったけれども、あの来た当初の不安な日々はもう懐かしいほど昔のことになって、今は何もかもが楽しく順調な時間の流れの中にありました。ブラベッツ先生ご夫妻、ムラツェック先生はもちろん、管理人のリュールンショップフさんとそのお母さんのカデルツさん、家主のホリックさん、毎朝買いに行くパン屋のおばさんとお姉ちゃん、一番近くの食料品屋のシュヴァルツさんなどはもうすっかりおなじみになりました。私たちにとって今やウィーンが我が町になりつつあったのです。その想いは初めての旅行から帰ったときにさらにはっきり感じたものでした。
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