ウィーン留学時代の想い出


出発から到着、ウィーンの初日 1980年8月26日

我々の乗った飛行機は大韓航空のソウル、アンカレジ経由パリ行き、予定ではパリでスイス航空に乗り継いでチューリヒ経由ウィーン着のはずでした。それがなんとアンカレジで飛行機のトラブルのため8時間も足止めされ、やっと飛んだもののパリでは乗り継ぎのスイス航空機はとうに出てしまった後でした。初めての国際便の旅で何も知らない我々はこういう場合にどうしたらよいのかわからず、パリのオルリー空港では下手な英語が通じないで冷や汗をかき、大きな荷物を引きずりながらあちこち聞いて歩いて、やっとのことでウィーン行きのオーストリー航空最終便の搭乗券をもらえたのでした。

小さな飛行機に乗り込むとヨハン・シュトラウスのワルツが流れ、やっとウィーンに行かれるんだとほっとしました。やがて飛行機はウィーンに近づき、道路に光の筋が見えてきました。後でわかったのですが、ウィーンの街路灯は道の真ん中頭上にワイヤを張り蛍光灯がついているので、上空から見ると道路が光の筋に見えるのです。窓の外には満月がこうこうと輝いていたのが印象的でした。

37時間の旅の末、真夜中のウィーンシュヴェヒャート空港に着きました。
アンカレジ空港にて
住む家は我々が到着する一月前に帰国した大学の先輩夫妻のあとを借りることにしてありました。しかし真夜中を過ぎていきなりそこを訪ねるのもはばかられたので、とりあえずその晩はホテルへ泊まろうということにしました。成田を出るときに送りに来てくれた家内の父がくれたホテルリストから家内が探したホテルはファヴォリーテンシュトラーセのホテルヨハンシュトラウスでした。家内が我々の住む家がタウプシュトゥンメンガッセで、その道と接している通りの名前がファヴォリーテンシュトラーセであったことを覚えていて近いんじゃないかと思ったとの事。家内の大手柄なのですが、実はこの通りは何kmもある長い大通りだったのになんとちょうどタウプシュトゥンメンガッセがぶつかった角にホテルがあったのです!

空港から電話をかけてホテルを取り(すべて家内がしてくれました。私よりだいぶドイツ語ができたので)、タクシーに乗って真夜中の田舎道を市内に向かいました。まだ当時は空港から市内までのアウトバーンがなかったのです。市内に入り日本にはまだなかった大きな広告看板に驚きながら走っていくと地下鉄のタウプシュトゥンメンガッセ駅があり、それを発見するのとタクシーがUターンしてホテルの前に停まるのがほぼ同時でした。

真夜中過ぎに到着した日本人の客をホテルの主人は上のほうの階のきれいな部屋に案内してくれました。荷物を置きちょっとコーヒーが飲みたくて下へ降りると、ちょうどそこへいいご機嫌で帰ってきたカナダ人の老夫妻がコーヒーを頼んでいるところでした。少しめんどくさそうな風でしたがホテルの主人は彼らと我々のためにコーヒーを入れてくれ、BGMを流してくれました。カナダ人夫妻は音楽にあわせてダンスを始め、我々はそれを眺めながら長かった一日の疲れをどっと感じていました。
ホテルヨハンシュトラウスにて
部屋に戻ってシャワーを浴びてベッドに入ると、興奮していた頭も次第にぼんやりしていつしか深い眠りに落ち、気がつくと初めての朝を迎えていました。窓の外には初めてて見るウィーンの街の家並みがありました。この日からウィーンでの新しい生活が始まったのです。 ホテルの部屋の窓から見た翌朝の景色
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