季節のページ
トスカーナの休日
2013年6月21日〜29日


いくつかの偶然なきっかけが重なって、急にイタリアへ一人旅することになった。楽しみであると同時に初めての外国一人旅、しかもまだまだとても使えるとは言い難いイタリア語でいったい大丈夫なのかと、その日が近づくにつれ心配になってきた。出発前夜、イタリア語のクラスに出かけたけれど、この日のレッスンは完全にパニックだった。ほんとに明日行くのかい?そんな気がした。

でもとにかくその日は来た。ネットで予約したアリタリアの飛行機はちゃんと僕を乗せて成田からローマへ飛んだ。最初の心配は無事に切り抜けた。パソコンでコピーしたプリント1枚で飛行機に乗れるんだ。何だか不思議な気がしたけど、どうやら帰りもこれで大丈夫らしい。

ローマに着いて市内行きのバスに乗り、テルミニ駅に着いた。タクシーに乗り予約してあるホテルに着いた。その晩はイタリア語教室の幸枝さんがホテルに来てくれて、一緒に食事をすることになっていた。
ところがちょっとした連絡の行き違いで部屋はキャンセルされていた。若いオーナーはそれでも親切に何とかしてくれようとしたけど、とにかくその日は部屋は満杯だから泊まれないとのこと。僕は友達がホテルに来てくれることになってるからここで待ちたいと言った。でも僕の携帯はまだその時点で使える設定になっていなかったから、彼の電話で幸枝さんと連絡を取り、彼女がほかのホテルを探してくれたおかげでその日は無事にテルミニ駅近くのホテルに泊まれることになった。

オーナーは、ホテルの部屋はお客の到着が今夜9時だから、彼女が迎えに来てくれるまで使っていいと言ってくれた。シャワーを使ってベッドで休んだらいいと。日本からの長旅で疲れていたから、ありがたかった。

じきに幸枝さんが迎えに来てくれた。イタリア語の教室で僕も会ったことのあるロザンナさんともう一人、ひとり旅でローマに来ていた女性も一緒に4人で幸枝さんの馴染みのリストランテに行き、楽しく最初の食事をした。

泊まったホテルは向かいがリストランテで、夜中3時頃まで騒がしかった。くたびれていたからじきに寝たけど、何度も目が覚めた。
翌朝、早くから地図を見ながら街を散策した。いずれにせよ半日で見きれる街ではないから(街の広さと言うよりより、その歴史的、文化的大きさから言って)、むしろ気楽に歩き回った。あそこは見なきゃ、みたいな力みは必要なかった。いつかまたママや一穂と来よう。

サンタンジェロやサンピエトロやスペイン広場もよかったけれど、背の高いローマの松やぺちゃんこにして温めたパニーノのおいしさが心に残った。

その晩は、イタリア行きのきっかけを作ってくれた友達のファブリツィオがカンポバッソから会いに来てくれて、一緒に食事した。
二日いたローマをあとに、23日に特急フレッチァロッサでフィレンツェ・マリア・ノヴェッラへ、そこからローカル線に乗ってシエチという小さな駅で降りた。
駅で降りたのは僕ひとり、駅員もいない小さな駅にフランコが待っていてくれた。彼は僕がこれから5泊お世話になる農場の主人だ。最初の言葉を交わしたときから、彼がとても親しみやすい人だと感じた。車に乗って行く間ずっと彼はそのあたりの自然、特にオリーブの畑や山や動物たちの話をしてくれた。車はいくつか小さな村を通り抜けてだんだん山へ入って行った。見晴らしのいいところに建てられた民家があって、『週末になるとフィレンツェからやってくる家族があるけど、普段は人がいないからそこまで上ってみるといいよ。すばらしいパノラマが見られるから』と彼が言った家は山道からさらに坂を上ったところにあった。そこを過ぎると曲がりくねった道が急な坂を下り、その行き止まったところに素朴な家があった。そこが彼の農場であり僕の宿だった。奥さんのガブリエラが出てきて迎えてくれた。彼女も一目見てとてもいい印象だったから、ここへ来てほんとによかったと直感した。ふたりとも思ってたとおりの人柄だ。
部屋はとても快適で、荷物を解き、靴をサンダルに履き替えるとすぐにリラックスできた。
気持ちのいい木陰を作る棚の下にテーブルがあって、目の前に太陽の光をきらきら映しているプールがあり、周りはオリーブ畑と山に囲まれていた。小鳥の声のほかは何も聞こえない静寂がうれしかった。この景色を眺めながら最初の食事はこのテーブルでいただくことになった。
『台所を見せて貰ってもいいですか?料理が好きで、特にイタリア料理は興味があるんです』そう言ったら、『手を洗ってね。今朝こねたパスタの生地、これを伸ばして貰える?』エプロンを手渡しながらガブリエラは言った。その気安さがうれしかった。だけど伸ばした生地をギザギザのカッターで適当に切りながら、まだそれが何になるのかわからなかった。

この日のメニュー
フィカットーレ(僕が伸ばして切った生地を揚げたもの)、ハムとサラミを載せて
トマトのオレッキーニ(小さな耳の形のパスタ)のグラタン、パセリ、オレガノ、ニンニク風味
サルティンボッカ(薄切り肉と生ハムを張り合わせてセージの葉とともに焼いた料理)
カントゥッチーニ(アーモンドがたくさん入った堅いビスケット)、甘い貴腐ワインに浸して
24日の朝、外は曇り空

特にすることもなかった。忙しい人にはこれ以上の贅沢はないのだろうけど。普段の僕の朝は忙しい。というか楽しい朝の習慣があるんだ。夏でもまだ空気の爽やかな早朝、ヴィヴォを連れて散歩に行く。それから玄関や家の前の道を掃除する。庭の花や木に水をやり、庭にやってくる小鳥たちに餌をやる。そして何より池のメダカやアカヒレたちに話しかけご機嫌伺いをするんだ。花も小鳥たちも魚たちもみんな僕の話がわかるし、彼らの言葉は僕にははっきり聞こえる。朝食の用意ができて、そんな僕の庭を眺めながら淹れたてのコーヒーを飲むのはとても幸せな時間だ。
朝の食事をいただきながら、なぜ僕はここにひとりでいるんだろうと考えてしまった。『何してる?』ママや一穂に聞きたかったけど、彼らはそれぞれの仕事をしているに違いなかった。僕だけが休暇中であり、ひとりでイタリアまで来てしまったんだ。

イタリア語を習っているけど、話す機会はそんなにはない。ほかの外国語は必要に迫られて勉強したけど、イタリア語は別だ。イタリア語が好きでイタリア人の国民性にも惹かれるものがあった。勉強したいという気持ちが始まりだった。だからある程度勉強したら使ってみたくて、イタリアに行ってみたい、きっと今行ったら楽しいだろうなぁと思っていた。意外にもチャンスはすぐに来た。出番のはずだった現代オペラの編成が小さくなって、もし降りを希望すれば2週間の休みが転がり込む。だけどこの時期、ママも一穂も休みなんか取れないなぁ。『こんな長い休みなんてまたとない機会じゃない。行って楽しんでいらっしゃい』ママがそう言ってくれた。
ガブリエラが作ってくれた月曜日のお昼.

カラーピーマンを載せたあつあつのクロスティーニ(パンをカリッと焼いたもの)
羊のリコッタチーズの入ったニョッキ、バターとセージの香りで
鶏の胸肉のオーブン焼き
サラダ
ティラミス
ガブリエラの料理は彼女がお母さんから伝えられたトスカーナの伝統的家庭料理。どれもとてもおいしい。ただ僕たち日本人の胃袋には少し重いかな。量も半端でなく、普段の僕の倍はある。
この日の午後、ガブリエラとフランコをお茶に招いた。日本から和菓子と抹茶を持っていったんだ。壊れないように厳重にくるんで持っていった茶器でにわか茶道を披露した。とても興味深く彼らは僕の作法を見、説明を聞いてくれた。ガブリエラはビデオまで撮った。お茶の作法を知る人には見せられないな。抹茶はガブリエラには濃くて苦くてちょっと無理だったみたい。
その晩、僕はガブリエラの料理がほとんど食べられなかった。お腹が空かなかったんだ。ちょっと緊張もしていた。今更という感じだけど、お茶をしたときに思うように会話ができず、何だかあらためて緊張してしまったみたい。それにいくらおいしくても、普段は和・洋・中華いろいろなものを食べるし、お蕎麦とかさっぱりしたものも一日に一食は入るような食生活から、一転して毎食イタリア料理の豪華な食事で、早くも僕の胃袋はくたびれていた。

翌朝目が覚めたとき、『だめだぁ、どうしたんだろう?』そしてベッドの中で考え込んでしまった。『ここへ来てから何をしたんだ?食べて、寝て、また食べて寝た。何一つ積極的に行動していないじゃないか。ほんとはフランコやガブリエラの仕事を手伝いたかったんじゃないのか?』そう考えたら、思わずベッドから跳ね起きた。そして散歩に出た。糸杉が真っ青な空に向かって誇らしく立っていた。山の斜面には朝陽を受けたオリーブの木々が輝いていた。
約1時間、農場の郵便受け(郵便配達は農場まで来るのが手間なので、一本道になる入り口に掛けられた郵便受けに手紙を配達したら携帯で電話を掛けてくる。『手紙来てるよ』って)まで行って帰ってきた。それから農場の奥の馬小屋へ行ってみると、フランコが馬たちに干し草をやっているところだった。『手伝っていいかな』ステラ、ウニカ、セレナという3頭の馬たちがいた。僕は馬の世話が好きだ。パディに久しく行ってないけど、また通いたいな。オケの定年後は馬小屋の掃除でもさせて貰おうかなんて考えたこともある。ともあれ朝食前に楽しい習慣ができたことがうれしかった。この日、朝食はおいしかった。
その日の朝食が済むと、ガブリエラがフィレンツェの街へ連れて行ってくれた。僕が少し落ち込んでいたし、きっとただ農場にいてすることもないと退屈してるだろうと気遣ってくれたのかも知れない。彼女はフィレンツェの街に旅行代理店を持っていて、週に3日そこで仕事をしている。

彼女の事務所から歩いて街の中心へ行き、かつて留学中にママと二人で来た懐かしい街並みを眺めながら歩いた。ローマと同じく見るべき所はたくさんあるし、でもどこも観光客であふれかえっているし、時間も半日しかなかったから(彼女は彼女の仕事が終わる夕方まで街を見て一緒に帰ろうと言ってくれたけど、3時にフランコが買い物に来るとき寄って貰って彼と一緒に帰ってもいいと選択肢をくれたので、僕はフランコと帰ることにしていた)、ほんのいくつかだけ有名どころをのんびり歩いて回って、あとはポンテヴェッキョの近くにあった感じのいいお店でフィレンツェ陶器を我が家のおみやげに買って、彼女の事務所に向かった。

3時にフランコが迎えに来てくれた。帰り道にハチミツ作る人たちが使う道具類を買いそろえる店に寄って、顔なじみの客たちが話をしながら、慣れた調子で蜂が蜜を貯める巣にする板や、できたハチミツを入れる瓶などを大量に買っていくのをとても興味深く見た。どんな土産物屋より楽しい買い物だった。
翌日も朝食前には散歩と馬たちの世話をした。馬たちにブラシをしていると気持ちが穏やかになった。特にステラはすぐになついて鼻をすり寄せてくるようになったから、彼女の長いたてがみにブラシを丹念に掛けてやるのがとても楽しかった。食事のあとはフランコが教えてくれた裏手の小径を川まで下るトレッキングコースを歩いてみた。かつてはフランコが馬でお客を引き連れて通ったコースだって。今は乗馬をやらなくなってほんとに残念だ。

木曜日は蜜蜂の養蜂所にフランコが仕事をするのを見に行った。毎日休み無く彼は仕事をする。だって馬たちや蜜蜂や鶏や鳩はみんな彼を待っているんだ。『この仕事が好きなんだよね』と言ったフランコはほんとに幸せそうだった。彼はここで収穫したハチミツを自分で製品にまでしている。品質はコンテストの受賞歴が何度もあるほどだ。
フランコの仕事を手伝わせて貰うようになってから、僕にとって全てが楽しくなった。フランコが蜜蜂の世話をしながら語ってくれたことは初めて聞くことばかりで、実に興味深かった。花粉を足につけて帰巣した蜂が自分の見つけた花畑を仲間に知らせるためにくるくる回ってダンスをする様子を見ながら説明してくれたとき、『へ〜、蜂って賢いんだね!』というような驚きと感動がこみ上げてきた。

最後の晩の食事はガブリエラと一緒にポルチーニのリゾットを作った。うちでもよくリゾットは作るけど、実は本物の作り方も知らないし、味も知らない。自分ではいろいろ工夫して、日本の米だってうまく作れると思っているけど、本物を知ることは興味深い。日本でもポルチーニは手にはいるようになったけれど、まだ多分乾燥させたものしか見たことがない。この季節、イタリアでも生はなかったけれど、冷凍があってそれを使った。エリンギを4つ割にしたくらい大きなポルチーニがポテトチップスの袋くらいのに入っている。3人分作るのにそれを1袋半、贅沢な使い方。さすがに香りがよくて、調理しながらも食欲が増した。

この晩は初めて3人で一緒に食べた。たくさんのことを話しながら家族が一緒に食事をするのがイタリア式、僕がイタリア人の習慣の中で一番好きなことだ。ガブリエラとフランコ、彼らと一緒に食事ができてほんとに楽しかった。
あっという間に時間が過ぎて、もうこの農場で過ごす日々も終わろうとしていた。明日はローマへ、そして翌日早朝には日本へ向けて飛行機に乗り込む。家族に会えるという穏やかな気持ちと、ここを去ることの一抹の淋しさを感じていた。 フランコ、ガブリエラ、それにステラ、ウニカ、セレナ、蜜蜂や鶏や鳩たちまで、今では僕の特別な友達になった。

僕はあなた方の家族と知り合えてほんとに幸せでした。どうしてもまた会いに来ます。ありがとう。チャオ!

MY FAMILY &
PHILHARMONIEKAMMERENSEMBLE
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La vacanza in Toscana

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